言語創作と創作世界(寄稿)

「ハロー、キミの名前は? ──素敵な響きだね。いったい、どんな意味なんだい?」
創作される世界の数だけ、いや、それ以上の数の「言語」があるはず。

この記事はCaibeR( @CaiberMAKISE )さんによる寄稿です。


はじめまして、CaibeR(かいばー)と申します。
この度Rの手記様に場所をお借りして、コラムを寄稿させていただくことになりました。
創作に関するネタを皆さまに提供できたらと思います。

さて、皆さんは「言語を作ってみよう!」と思ったことはありますか?
僕自身は「サージュコンチェルト」「アルトネリコ」といったゲームが好きで、またそれらの影響で作りたいと思ったことがありました。
そこで個人的に難しかったことは言語としての一貫性を作る事、文字そのものを作る事でした。
それでは筆者自身の言語創作の方法について説明していきたいと思います。

言語で切り分ける世界

言語を作るにあたってまず一つ、言語の面白い特性を見ていきましょう。
自身の手を見てください。その「手」の繋がり、位置関係を覚えておいてください。
続いてその手と、腕の境目を明確に示してください。
ここで明確に境目を指摘できる人は、恐らくいないか、居ても少数かと思われます。

手というのは腕と繋がっており、明確な境目は本来存在しないはずです。
しかし、人間は「手」と言われれば、それが意味している部位を思い浮かべてパーツとして切り離すことができます。
人間の手はロボットのようにパーツ化されて作られているわけではないのに、です。
手首を境に切り分けられると反論があるかもしれませんが、腕から手に掛けて繋がる腱を分断してしまうので、明確に部品として分けられるとは言えないでしょう。
腕でも同様でしょう。どこからが肩で、腕で、背中で……と分けることは恐らく難しいことです。
にもかかわらず、人間は言葉を通して、身体の部位をおおよそ分類して、切り分けて考えることができます。

もう一つ考えてみましょう。
例えばあなたの目の前に「色は青く筒状で少し細長く、布や革製の入れ物でチャックや手提げひもがついているもの」があります。
この説明で目の前にある物が何かわかりましたか?恐らく難しい質問だと思います。
では次の説明をします。あなたの目の前に「青いボストンバッグ」があります。
これなら目の前にある物体を簡単に思い浮かべることができるでしょう。
面白いことに、先の説明の方が情報量は多いのに想像するのは難しいのです。後者の説明は二単語しかないですから、情報量だけなら前者が圧倒します。

「言葉は認識に付随する」とでも言うのでしょうか。
私たちはひょっとすると、言葉と物が先に一対一にあって、それらを使っていると思ってしまいがちです。
しかし実は、物を認識して、その本質がどこにあるかを理解して、本質に対して名前を与えます。そうして与えられた名前がコミュニティの人間同士で共通認識として使われていくことになります。
難しいので、先の例に当てましょう。
人間の身体のうち、上体から伸びて比較的自由に動くパーツを腕とします。そのうち、更に細かい動作、例えば物を掴むことに長けた箇所を手と呼ぶのだと言えるでしょう。
カバンと言われるもののうち、ドラム型でファスナー式の口が大きく開くものを日本では特にボストンバッグとして呼ぶことに決め、その名前を使うようになっています。
先ほど「コミュニティの人間同士で」と書いたように、ボストンバッグという言葉は日本でしか認識されません。

ここが重要なポイントになります。
まず一つ、言葉をどう使うか、見たままの世界からどう認識を切り分けていくかは人間次第です。
次に切り分けられた認識は、同じコミュニティで会話する人間以外には伝わらないことがあります。
現代は明治期の標準語制定にインターネットの普及で国内ではかなり通じますが、昔は山一つまたげば通じない言葉もありました。
言葉というのは、明文化して切り分けた概念に付けたタグで、そこに住む人間の考え方、共通認識の結晶なのです。
日本に多種多様な雨を意味する語彙があって、乾燥地にはほとんど無いことなどは顕著でしょう。